第10回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト


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優秀賞受賞作品
「いじめられても」
くうる 


 転勤がある私の職業では、転勤先に嫌な人がいることも多い。その中にはいじめを平気でする人もいる。これはそんな例である。
 ある仕事の書類にミスがみつかった。取引先から連絡があり、それが発覚した。
 正確に言えば、私だけではなくチームとしてのミスだった。作成した書類は、チームで目を通して「これで大丈夫だ」と確認したものだったから。だが、書類を作成した主は私だったので、全ては私のせいと言うことになった。
 チームの仲間には「申し訳ありません」と頭を下げて謝罪した。当然である。自分のミスなのだから。もし自分が作成した段階で訂正していれば、念入りに確認していれば、防げたミスだった。それは私も納得していたからこそ、心から謝罪したわけである。
 チームは十二人。数名はそれで許してくれた。
「よくあることだから仕方がないって。おれもやるかもしれないし」。
 笑ってそう言ってくれる人がいた。有り難かった。
 しかし、中には許してくれない人もいた。十二人もいれば当然だろう。私も覚悟していたし、許されないならこれからの姿でがんばろうと思っていた。
 ところが、翌日から毎日私への嫌味攻撃が始まった。三名ほどのチーム仲間である。
「あいつのミスさえ無かったらな」。
「そうそう。あのミスがあったから、オレたちの信用、がた落ちだよな」。
 こういう言葉を、聞こえよがしに言ってくる。私に聞かせる距離で、意図的に、である。
 当初はそれも仕方なし、と思い、気にしなかった私だった。十二人もいれば様々な仁賢がいるからだ。が、それを毎日毎日聞かされるようになると、さすがに心労が増えた。
「あーあ。あの仕事、あいつのミスさえ無かったら完璧だったのに」。
「そうそう。あのミスさえなかったらな」。
 悪いことに、チームの上司もこの嫌味人間達の一人だった。上司である以上、口には出さなかったが、私への嫌味が聞こえても無視をしていたから、結果的には認めているのと同じだった。
 私は日に日に疲れてきた。初めのころは大丈夫だと思っていたが、さすがに毎日同じような嫌味を聞かされると、精神的にも良くない。自分が悪いとわかってはいても、それを意図的に指摘されてはかなわない。
 かといって、反撃すれば「お前がミスをしたからだろう」と言われるのは間違いなかった。どうしたらよいのか、判断がつかないまま、ともかく出勤だけは続けた。
 現在だったら、完全な「パワハラ」に違いなかった。嫌味を言ってくる人たちは、私にとって先輩である人たちだったから。だが、当時「パワハラ」という概念は無かったし、他にもこういう被害に遭っている同僚は少なからずいた。そういう時代だったのかもしれない。今思えば、コンプライアンスなど無いに等しい時代だった。
 私は、毎日の嫌味を聞き流しながらも、日に日にストレスを溜めていった。振り返ると、自分でもよく頑張っていたと思う。
 だが、ついに私にも限界が来た。ある日、出勤しようと思ったら、体が動かない。布団から起きあがれないのだ。原因は明らかだった。あの嫌味攻撃である。さすがに欠勤はまずいと思ったが、それでも体が重くて無理だとわかった。私はその日、「体調不良」で仕事を休み、一日自宅で過ごすことになった。
 だれかに相談できると良かったが、あいにくそういう相手はいなかった。両親に言えば、反対に彼等を悲しませることになってしまう。かといって、友だちにその種の悩みを相談できる人は皆無だった。結局欠勤した日は、寝たり起きたりしながら過ごしたが、気持ちは晴れなかった。
 翌日も体は重かった。が、二日連続はさすがにまずいと思い、無理をして出勤した。いつも通りの嫌味が繰り返されるだろうと思い、覚悟したが、不思議とそうならなかった。
「あーあ。あの仕事、あいつのミスさえ無かったら完璧だったのに」。
「そうそう。あのミスさえなかったらな」。
 聞こえよがしに言ってくる輩も、その日は静かだった。私を見ても何も言わないし、黙って通り過ぎていった。
 おかしい。何かあったのだろうか。
 不思議に思いつつ、たまっていた自分の仕事をこなすうちに、一日が終わっていった。
 帰り際に、同じチーム内の理解者が耳打ちしてくれた。
「昨日、チームの上司が社長に言ってたわよ。『あなたにひどい言葉を吐いている人たちがいる』って。その後、あの人たち、呼ばれていたから、何か言われたんじゃないかしら」。
 そういうことか、と納得した。一日嫌味を言わなかったのは、彼等が社長から叱責されたからだったのだ。そうでなかったら、私は同じ目に遭っていたに違いなかった。助かった、と思った。
 上司は、昨日私が欠勤したことを心配して、社長に伝えてくれたのだろう。社長もきっとそんな事実は知らなかったので、驚いて該当者を呼んで叱責してくれたのだろう。
 私は間違っていたのだった。上司は嫌味を言う仲間ではなく、きちんとチーム内の人間関係を考えてくれていたのだった。ただ、同じチームであるがゆえに、チームメイトとの関係も考えて、時が来るのを待って解決してくれたのである。有り難かった。
 帰ろうと思っていた私だったが、一言御礼を言いたくなった。忙しそうな上司をつかまえ、一言「ありがとうございました」と伝えた。彼は何も言わず、右手を挙げ、指で丸を作った。何もかも承知の上だったのだろう。
何も言わなかったことが逆に有り難かった。
 後日、社長から呼ばれた。もちろん、嫌味を言われたことの確認と、現在の状況の把握だった。欠勤するまで嫌味を言われたこと。上司が動いてくれた以降、嫌味を言われなくなったこと。それにまつわる詳細も、社長に伝えた。
「悪かったね、君がそんなことに巻き込まれているとは知らなくて」。
 いやいや。現場をこと細かく知っている社長なんていませんよ、と言いたくなったが、言わなかった。「いえいえ。でも、助けていただいてありがとうございます」と御礼を伝えておいた。
 実際、上司が訴え、社長が動かなかったら、私は「嫌味地獄」に耐えるしかなかったはずである。そうならなかったのは間違いなく、上司と社長のおかげだった。心から感謝しながら社長室を後にした。メンタルをやられる寸前で助け船が出たおかげで、私は助かったわけである。
いじめで辛い思いをする子どもや大人は、全国にも沢山いると聞く。そんな人に、私の体験から伝えたいのは二つだ。
 一つは、「辛かったら逃げて良し」。いじめに遭い、辛いと感じたら、私のように欠勤したり、学校を休んだりすれば良い。無理をして行けば、必ず後になって支障が出る。逃げることは決して悪いことではない。自分を守るための一つの手段である。「辛かったら逃げて良し」という言葉を、常に心に持っていて欲しい。
 私の場合、もし欠勤しなかったら解決には至らなかったかもしれない。欠勤するほど悩んでいることを上司が理解したからこそ、私は救われたのだった。だから繰り返す。辛かったら欠勤したり、欠席したりすればよい。それは悪い結果ではなく、良い結果をもたらすはずだから。
 もう一つは、「あなたの理解者はきっとどこかにいる」。私の場合、理解のある上司と社長がいたから救われた。もし私一人だったら、解決できない問題だった。彼等がいたから、私は翌日から気持ちよく出勤できるようになったのだった。
 理解者は同じ職場にいるかもしれない。あるいは、肉親や友だち、知り合いの中にいるかもしれない。ともかく「理解者がどこかにいる」という事実を、常に心の中に留めておきたい。
 確かにいじめられていると、卑屈になってしまう。「オレは、私はだめな人間なんだ」と、自分の内へ内へとマイナスな気持ちが出てしまう。だが、断言するが、それは間違っている。悪いのはいじめをする側であり、される側に非はない。そして、それを理解してくれる人は必ずいる。そう信じて自分の道を歩けばよい。私も経験から学んでいる。
 さらに覚えておいて欲しいのは、「いじめで自殺をするなんて、馬鹿馬鹿しい」という事実。「辛かったら逃げて良し」と私は言ったが、自ら命を絶つことは「逃げ」ではない。「絶望」である。考えてみて欲しい。いじめの加害者は、あなたがいなくなった後も、のうのうと生きている。あなたはこの世にいない。両親や友だちは皆泣いている。親戚も、知り合いも全て。そんなことが許されていいのだろうか。悔しくないだろうか。
 大切な自分の命を、愚かな加害者のせいで失ってしまうなんて、馬鹿馬鹿しいとは思わないか。いじめをする人間は、パワーバランスが崩れたら、たちまちいじめられる側になってしまうだろう。あなたがリベンジしなくても、神様がきちんとリベンジしてくれる。そう思えばいい。
 大切なのは、あなたがこれから先生きること。現在の世界で幸せに生きて長生きすることこそ、加害者に対する何よりのリベンジとなる。それに、あなたが生きる世界は、会社や学校だけではない。もっと違う世界が他にはある。それを知ることだ。頑張って欲しい。